「なぜ勉強しなくてはいけないのか?」これは、非常に重いテーマです。この問いかけに対する一般的な回答と言えば「問題解決能力を養う」「過去の遺産の継承」「人間が人間たる所以である」等々…。どれも立派で、確かにそうであることは間違いないのですが、残念ながら今の子ども達にはそう言っても今一つピンとこないようです。

 私は、勉強することの理由の一つとしてこう考えています。即ち「勉強が、いちばん公平な”物差し”である」と。

 高校はそれこそ千差万別だから、誰だって出来れば少しでも「良い」高校へ進学したい(この場合の「良い」とは、単に成績だけを指すのではなく、たとえば尊敬できる師、信頼できる友達がいる、施設が充実している、進路・進学指導が徹底している、家から近い等々…、色々な意味を含みます)。「良い」高校に、希望者が集中するのは当然です。ところが、高校には「定員」というものがあります。さて、どうやって選抜するか?「親の職業」「お金」「和歌」….、どれも不適切であることは明白です。では、スポーツはどうか?団体競技では一人ひとりを正確に把握することは難しいし、個人競技になると極端に限定されます(まさか「100m走」で決めるというわけにはいきませんよネ)。「やる気」「ボランティア」なんかは、もともと点数化、比較するものでもありません。

 そうやって考えてみると「勉強」が、いちばん”妥当”なのかと思う。努力すればそれだけの「成果」がみえるのだから。どんな人だってがんばれば、がんばらなかったときよりも良い点数がとれるハズです。勉強が出来ないからダメだと言っているわけではありません。世の中には「勉強」よりも大切なことがたくさんあります。そもそも世の中で、何がいちばん大切なのかを論じているのではありません。だいたい学校で勉強したことが、社会に出てそのまま役に立つなんて、そんなに「社会」は甘くない。世の中にはそもそも「答」すらあるのかないのかも分からない問題ばかりなのだから。学歴社会の弊害ばかりがクローズアップされているけれど、武士や貴族の社会に比べれば、よっぽど公平だと思います。ここは、自らの人生のために「勉強」を利用しよう。